今日は日曜日で塾はお休み。BGMはダイアナ・クラールの新譜「Glad Rag Doll」
昨日の土曜日、中2生のD君の紹介でM君と保護者の方が体験説明に来られ、入塾を即決していただき、明日の月曜日から通塾してくれることになりました。本当にありがとうございます、紹介者のD君にも感謝です。塾として生徒募集の活動は何もしていませんが、今年度、中学生の空席は中2生の1名分だけとなりました。すべてご紹介のみで入塾いただいています、塾生および保護者、関係者の皆様に心より感謝申し上げます。
「親鸞」 五木寛之 講談社・講談社文庫
実に高校生の時、「青春の門-筑豊編-」「蒼ざめた馬を見よ」「さらばモスクワ愚連隊」を読んで以来の五木寛之さんです。
なぜ、浄土真宗はあれほどの結束力をもち、時の為政者たちに対抗し得たのか、これまで私にはわかりませんでした。「浄土真宗は仏教とはいえ、“阿弥陀如来”を唯一絶対神とする一神教みたいなものだから」となんとはなくは思っていましたが、それだけでは“忠義”と“精強”を誇り、徳川家康を天下人に押し上げ、家康への忠誠心の塊であった「三河武士」でさえ、主君と対立し合戦におよんだ三河一向一揆なのどの説明がつきません。
この本を読んでようやく腑に落ちました。
聖徳太子(実在したかどうかはともかく)から始まって、聖武天皇を代表者に、当時の為政者は「仏教」に帰依し、仏教で国を治めようとしており、その結果、仏教の「教え」が貴族、武士、庶民を問わず、広く、深く浸透していました(はずです)。
ではその当時の「仏教」の教えとは何か。シンプルに突き詰めれば、「罪を犯すな、犯せば罰が当たり地獄に堕ちるぞ」なのだと思います。で、その“罪”の筆頭が「殺生」です。その時代(今現在でも)、他の生命を殺さずに、人が生きていくことなど出来るはずもなく、五戒も十戒も破らねば生きていくことなど不可能だったはずです。武士などは「殺生」が生業そのものなのですから、十悪・五逆の極悪人の筆頭ということになるです。
ごく一部の人々を除き、当時の大衆は現在よりずっと地獄をリアルに感じており、心の底から仏罰が恐ろしかった。だからこそ、浄土真宗の教えにすがるしかなかった。ということだと、私は理解しました。(あくまで私個人の感想ですのでよろしくお願いします)
「あまたの御仏がわれらに背を向けるなか、ただ唯一、阿弥陀如来だけが衆生をあまねく救うと誓いを立て、われらに手を差し伸べている」 by 「親鸞」-激動編-
あっ、小説としての出来栄えは第一部はとても面白いのですが、第二部で急速に主人公である親鸞の魅力が薄れていきます。まだ出版されませんが、第三部が心配です。