本日のBGMはビージーアデール「Cocktail Party」
昨日の土曜日より保護者面談会が始まりました。今回もたくさんの保護者にご参加いただいています。学業の進捗状況、塾での様子、また伝え聞いている学校の様子なども率直にお話しさせてもらっています。9月に保護者面談を行う塾は少ないと思いますが、二学期の重要性、特に中3年生はここからが本当の勝負になりますので、再確認ためにも毎年この9月に行っています。お忙しいとは思いますが、今週末までどうかよろしくお願いいたします。
このところ毎年のように様々な自然災害が発生しています。地震、台風、竜巻、大雨水害など、都会であれ、地方であれ、いつどこで被害にあうかわからない状況です。自然災害がほとんどないからこそ、長きにわたって“都”であり続けた京都での嵐山水害などは「とうとう京都まで」という思いがしてなりませんでした。しかし、この災害時での“日本人の徳性”には本当に感心させられます。世界中を感動させた「東北大震災」の時の秩序だった行動もそうですが、どの災害であっても被災地の人々は不平不満を言わず、誰を恨むわけでもなく、ただ黙々と後片付けをし、明日に備えようとしています。このことは民族的な“日本人の特性”と説明されることが多いですが、私は日本の“教育の高さ”、もっと言えば“実用性に重きをおかない教育の高さ”に大きな一因があるのではと考えています。この国は世界に例を見ない「寺小屋」制度など、古来より“一般庶民”が教育に対して熱心でした。例えば、江戸時代の日本は、庶民の就学率、識字率はともに世界一だったと言われており、嘉永年間(1850年頃)の江戸の就学率は70~86%で、裏長屋に住む子供でも手習いへ行かない子供は男女ともほとんどいなかったようです。今日においても日常的にも将来的にも普通の人々はほとんど使うことがない「方程式」だの「二次関数」だの、「イオンの電離式」等々、“実用的”ではない、あるいは“一見何の役にも立たないような事柄”を子供たちは苦労しながら、考え、覚えていかなければなりません。しかし、このすぐには役に立たない、将来も使いそうもない、この“勉強”こそが想像・創造力を、そして粘り強さを形作り、賞賛に値する“勤勉”な日本人の姿になっているだと思います。よく子供たちは「方程式なんて大人になったら使わない」とか「日本人だから英語はいらない」、そして「なぜ勉強しなければならないの」と問いかけてきますが、その答えの一つに「災害にまけない真っ当な人間になるため」があるのだと思います。
大阪府が2017年より公立高校入試において、「英検」「TOEFL(トーフル)」「IELTS(アイエルツ)」の活用を決定しました。英検の場合「準1級(大学中程度)」で100点満点、「2級(高卒程度)」で80点に換算し、入試テストと比べ高い方を選択するそうです。「グローバル化」の一貫だそうですが、一般公立教育においてなぜ「英語」だけに“実用性”を求めるのでしょうか。喜ぶのは検定機関と英語教室や進学塾の関係者だけではないかと思います。