考える力が足りないと「自分のこと」しか考えられない。
「自分のこと」しか考えない奴ほど嫌な奴はいない。
勉強は「考える力」を鍛える効果的なトレーニングの一つである。
人類はその進化の過程において「種」を発展させるために「社会性」を選んだ。
「社会性」とは突き詰めれば「信頼の上に成り立つ分業制」である。
そして分業制を維持している「人々」とは「信用できる社会の構成員」のことである。
なぜ国、社会、つまり人々は教育に「願い」と「資金」を費やすのか。
それは子供達に社会の一員として「真っ当な人」になってほしいからである。
決して個人の「夢」のためなどではない。
「真っ当な人」とはどんな人か
「自分のこと」以外を考えられる人である。